財津和夫、松田聖子とは「今まで直接会ったことがない」と驚きの事実を語る

TULIP・財津和夫が、時には他のアーティストに提供した楽曲について語る『財津和夫 虹の向こう側』。今回は、松田聖子について、ちょっとびっくりする話が飛び出します。

自分が持っているものを出せばいい

松田聖子のアルバム「SEIKO JAZZ 3」が2月14日に発売されるという事で、今回は松田聖子にまつわる話をお届けする。彼女と財津、二人のファン以外でも、財津が松田聖子に多数の楽曲を提供している事をご存じの方も少なからずいらっしゃると思います。
その作曲者を目の前に、松田聖子のコンサートに参加した事もある下田アナが「チェリー・ブラッサム」「白いパラソル」「夏の扉」「野ばらのエチュード」などのいくつかを照れくさそうに(?) サビの部分をちょっとずつ歌います。 
そして、松田聖子に対して、財津は「すごい精力的な人。持って生まれたものが違うよね」と称賛した後「残念なことに、今まで直接会った事ないんですよ。大昔、まだ18歳くらいじゃないかな…レコーディングしてるところをガラス越しに見て、そのまま会釈してさようならさせて頂いた」という意外過ぎる事実を話す。
「ですから、僕にとっては本当に紗幕の向こうの霧のかかったその向こう側にいる、カリスマの女性って感じですね」と、甚く文学的な表現をする財津。 〔※ 紗幕:しゃまく  甚く:いたく〕
下田アナが「松田聖子さんの個性に合った曲を提供するとか、雰囲気を取り入れたりってすると思うんですけど、会ってなくてもあれだけのものが生まれるんですね」と感想のような質問をすると
「むしろ、どんな人って(事前に)聞かないで作った方が(結果的に)よかったのかもしれません」と、またも驚きの返事を返す財津。
財津が松田聖子の歌を初めて作曲したのは彼女の4枚目のシングル「チェリー・ブラッサム」。プロデューサーから「松田聖子だからこれを書いて」みたいなことは一切なく、「曲を書いてくれって言われただけなんで、どんな人が歌うのか正確には分からなくて、自分が持っているものを出せばいいんだ、よしこれを歌ってもらおう」と思って書いたのだ、と真相を明かす。
「ヒットしたのは本当にアーティストとプロデューサーとアレンジャーと作詞家のおかげ。世の中で彼女が歌ってヒットしているときは、僕の分身がなんか勝手に作った感じで、外野席から見てるような気がしました」
実は、松田聖子もいわゆる歌謡曲とは違うニューミュージックの曲調に戸惑い、不安を抱えてのレコーディングは2日間かかったらしい。初めは苦労して馴染めず、好きになれなかった曲が、今では松田聖子自身お気に入りの一曲、という逸話もあるようです。

今日の一曲は、松田聖子「花一色~野菊のささやき~」。1981年(昭和56年)公開の松田聖子初主演の映画「野菊の墓」の主題歌。作詞が松本隆、作曲が財津和夫。作詞作曲が同じコンビで作られた「白いパラソル」のB面に収録されています。
以下は、下田アナからの情報です。松田聖子のコンサートでは、客席からのリクエストコーナーがあり、実際に会場から色々なリクエスト曲の歓声が上がるらしいが、この曲は映画の主人公の名前である民子(たみこ)から「たみさんの歌」という呼び名でのリクエストコールが必ずと言ってよいほどある、との事です。

次回2月11日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
バレンタインデー間近、チョコレートトークをお届けします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

Facebook

ページトップへ