裏金問題めぐる自民党処分に元週刊誌編集長「国民の納得は得られない」

自民党は4月4日、派閥のパーティ券裏金問題で党紀委員会を開き、安倍派と二階派の計39人の処分を決めた。だが、処分の重さや、受け取った85人のうち46人が「お咎めなし」なのか、党の不祥事なのに総裁の岸田首相の責任を問われないのか――など、分からないことだらけ。元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんは、5日に出演したRKBラジオ『立川生志 金サイト』で、「国民の納得は得られないと思う」とコメントした。

安倍派と二階派それぞれの裏金問題

自民党の処分の何がおかしいのか、背景も含めて一つずつお話ししようと思いますが、その前にまず、一連の裏金問題を簡単におさらいしますね。

東京地検特捜部が主な捜査対象としたのは、安倍派と二階派で、どちらも議員がノルマ以上のパーティ券を売った場合、その分を派閥の政治資金収支報告書に記載せず、裏金化していました。

ただ、安倍派と二階派で違うのは、二階派はその大半を派閥の裏金としてプールし、一部が幹部らに還流していたものの、その支出は派閥の政治資金収支報告書に記載されていました。

これに対し、安倍派はノルマを超えた分は全額、議員に戻し、派閥も、受け取った議員も収支報告書に記載しない仕組みだったことです。だから金額も人数も安倍派が多く、4000万円以上受け取って立件された3人もすべて安倍派で、党のアンケートに裏金を「受け取った」と答えた85人中79人が安倍派の議員だったわけです。

派閥の会長や事務総長などの立件は見送り

一方、特捜部は、ノルマを超えたパーティ収入を派閥の政治資金収支報告書に記載しなかった責任者の罪も問い、おととしまでの5年間で、安倍派の会計責任者は合計6億7503万円、二階派の会計責任者は2億6460万円の収入を記載していなかったとして、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪でいずれも在宅起訴しました。

また、岸田派でも3年間で計3059万円のパーティ券収入の記載がなかったとして、元会計責任者を略式起訴しました。ただ、いずれも派閥の会長や事務総長などの指示や関与は裏付けられず、立件は見送られました。

まぁ、私もそうですし、国民の多くは「幹部の指示も了解もなく、事務方が勝手にするわけないだろう」と思っているでしょうが、証言も証拠もなければ、そこは捜査の限界なんですけど…。

国民感情とずれている「500万円の線引き」

ここからは処分に関する疑問です。まずは「500万円の線引き」です。今回処分されるか、免れるかの分かれ目は、一部の派閥幹部を除くと500万円でした。なぜそれ以下なら許されるのか、基準が分かりませんよね。

これは、検察が4000万円以上の議員だけを立件した時も言われましたが、私たち一般国民が脱税や使い込みで「3000万円だから」「400万円だから」って許されるんですか? という話ですよね。

まして、党規違反なんて単なる内部処分で、500万から900万円台の議員が受けた「戒告」は8段階中下から2番目の軽さで、政治活動に大きな影響はないわけですから、少額でも処分してしかるべきだと思いますが、国民感情とずれているとしか言いようがありません。

塩谷氏の離党勧告は「まるでスケープゴート」

次に、今度は重い方です。今回、最も重い「離党勧告」を受けたのは、塩谷立元文部科学大臣と、世耕弘成前参院幹事長の2人でした。安倍晋三・元首相の死去後の安倍派の衆院と参院のトップで、還流継続を止めるべき立場だったから、という理由のようです。

ただ、特に塩谷氏に関して言うと、派閥の「座長」だったとはいえ、在任期間も去年8月からわずか5か月間。しかも実質は、「5人衆」と呼ばれた、世耕氏や萩生田光一前政調会長、西村康稔前経済産業大臣、松野博一前官房長官、髙木毅元復興大臣――らが派閥を仕切り、塩谷氏は調整役に過ぎなかったと言われ、それは党幹部も十分承知のはずです。

また、受け取った裏金の額も234万円で、一般議員は戒告すら免れています。結果、本人も党執行部による処分の仕方は「独裁的・専制的」で「不当に重すぎる処分を受ける」のは「到底受け入れることはできない」と反発し、弁明書を提出しました。

その中にもありますが、「まるでスケープゴート」=人身御供のようにも映りますし、毎日新聞によると党内からも「(執行部は)誰かに責任をおっかぶせて楽になりたかっただけだ」という批判が出ているといいます。

「必ずしも悪い話ばかりではない」世耕氏の離党

もう一人の世耕氏は5人衆の一人でもあり、額も1500万円余りと大きいので、塩谷氏のような同情論はありませんが、今度は同じ和歌山を地盤とする二階氏との「痛み分け」論がささやかれます。

ご存じの通り、二階・前幹事長は先日「次の総選挙には出ない」と表明して、処分を免れました。ただ、後継に息子を立てるはずだと地元では言われています。一方、世耕氏は参院議員ですが、以前から衆院鞍替えの意向を持っていて、選挙区がかぶる二階氏は強く反発してきました。

世耕氏は処分を受け入れ離党したので、もう自民党公認候補として衆院選には出られず、引退した二階氏と痛み分けの形になったわけです。ただ、話はそう単純ではなく、逆にこれで世耕氏は党内の公認調整なしに、無所属で堂々と衆院和歌山2区に立てます。

地元では厳しい処分への同情票も期待でき、当選すれば復党は許されるわけですから、必ずしも悪い話ばかりではないという声も、地元ではあるようです。

裏金額ではなく党内力学で決まった処分

また、5人衆というくくりで見ても、処分は分かれました。今言ったように、世耕氏は上から2番目に重い離党勧告。次に西村・前経産大臣は、処分を受けた中で裏金の額は最も少ない100万円ですが、事務総長経験者ということで3番目に重い党員資格停止1年。同じく事務総長経験者の高木・元復興大臣は党員資格停止6か月です。今の衆院議員の任期は来年10月までですから、資格停止中に解散総選挙となれば、公認されません。

一方で、同じ事務総長経験者でも、岸田首相の女房役だった松野・前官房長官は下から3番目に軽い、党の役職停止1年。また派閥での役職はありませんが、処分された議員の中で2番目に多い2700万円余りを受け取っていた萩生田・前政調会長も同じく役職停止1年です。

党内での重みで言えば、官房長官だった松野氏や、政調会長だった萩生田氏は、経産大臣だった西村氏と同列に映りますし、安倍派の後継総裁候補として言えば5人はほぼ同列か、むしろ萩生田氏がトップだったはずですが、これも国民には分かりにくい処分です。

疑念が残る森・元首相の関与

また、そもそも「安倍派5人衆」というくくりは、安倍氏ではなく、その死後に森喜朗・元首相が雑誌の取材に「少なくとも2年か、3年のうちに、5人のうちで自然に序列が決まっていく」と話したことから生まれた言葉で、後継候補に指名したのは森氏。いわば、派閥のフィクサーです。

このため、安倍氏がいったんは「やめる」と言ったパーティ券収入のキックバックを誰が復活したのか、真相を知るキーマンではないかとも言われたわけですが、岸田首相は4日の取材に対し、森氏に直接電話で事情を聴いたものの「新たな事実は確認され」ず、「具体的な関与については確認できていない」と述べました。

ただ、いつ聴取し、どんなやり取りがあったのかなど、詳細は明らかにせず、ここにも疑念は残ったままです。

また、森氏は先ほどの雑誌の記事の中で「(5人衆)みんなの一致していることは、下村博文だけは排除しようということ」とも明かし、その下村氏は松野・前官房長官より前の事務総長で、受け取った額も松野氏の半分以下でしたが、処分は西村氏と同じく党員資格停止1年という重いものでした。この基準もよくわかりませんよね。

武田氏の「党の役職停止」と岸田首相の不処分に党内からも疑問の声

そして毎日新聞によると、処分内容で最後までもめた一つが、二階派事務総長の武田良太元総務相の処分だったと言います。麻生太郎・副総裁が事務総長の立場を重視し、安倍派の事務総長を最近まで務めた高木毅前国対委員長と同じ「党員資格停止」を主張したのに対し、森山裕総務会長らが、組織的に裏金を作った安倍派と、組織性が認められない二階派は事情が異なるとして、「党の役職停止」にとどめることを求めて意見が割れたと言います。

背景には、地元・福岡での対立関係があるとみられていますが、最終的に武田氏の処分は当の役職停止にとどまり、党幹部は「処分はそんな些末な事情で判断したわけではない」と否定しました。

最後に、搭載である岸田首相が処分されなかったことについては、塩谷氏が弁明書の中で「道義的・政治的責任も問われるべき」と訴えるなど、党内からも反発や疑問の声が出ています。これほど大きな不祥事が民間企業であれば、トップが責めを負うのは当然です。

今国会での成立を目指すという政治資金規正法の改正が骨抜きにならないか、私たちはしっかり見つめていかなければならないと痛感します。「先送りして、オリンピックが始まれば忘れるだろう」なんて、ゆめゆめ思われないように、です。

◎潟永秀一郎(がたなが・しゅういちろう)
1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。

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立川生志 金サイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週金曜 6時30分~10時00分
出演者:立川生志、田中みずき、潟永秀一郎
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みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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