さよなら中州大洋映画劇場

クリエイティブプロデューサー・三好剛平氏

本日は来週3/31に78年間の営業の幕を引かれる、福岡の老舗映画館・中洲大洋映画劇場について、ささやかではありますが「さよなら中洲大洋特集」をお届けしたいと思います。

中洲大洋、78年間の歴史

まずは中洲大洋映画劇場の歴史について、少しだけ。
終戦後わずか8ヶ月後の1946年4月に「博多の人たちを娯楽で明るくしたい」と開業した大洋洋画劇場。「これからはアメリカの時代」と米国映画の配給権を持つセントラルモーションピクチャー社と日本ではじめて契約を交わした洋画専門館としてスタートを切り、1作目の興行で上映したチャールズ・チャップリンの「黄金狂時代」は2週間で6万人を超える観客を集めたといいます。

 

1952年には現在の建物が完成し、以来実に78年間、地元の人々から愛される劇場として営業してこられました。なかでも1983年には「E.T.」が半年間にもわたって上映される異例のロングランとなり、劇場歴代動員数1位となる163,644人を動員、興行収入はこの作品単独で2億円超という、伝説的な記録を打ち立てました。

 

しかし90年代半ばには日本の映画界にもシネマコンプレックスという新たな劇場興行スタイルが上陸し、映画館ビジネスも大きな転換を迎えます。1996年には中洲大洋も、すぐそばにキャナルシティ博多のシネマコンプレックスが開業したことでそれ以来年々来場者数の減少を余儀なくされ、さらには2020年以降のコロナ禍なども重なる逆境にありながらも、今日に至るまでずっと、「この映画館で映画を見たい」と求める地元のお客さんたちの声に応えながら、営業を続けてこられました。

 

そして2024年。建築から70年以上が経過したこの建物の老朽化を理由として、いよいよ3/31をもって営業を終了し、その取り壊しが行われることが発表されています。最終日となる〜3/31までは、これまでの劇場の歴史のなかで特に多くの観客に愛された名作たちが特別編成された「さよなら興行」が展開されております。

中洲大洋の思い出、感謝、愛

さてそんな中洲大洋について、ここからは限られた時間ではありますが、その思い出と愛と感謝を集めたものをご紹介することで、皆であの劇場への想いを馳せる時間に出来ればと思います。実は今回の特集にむけて、僕も知人数名に声をかけて同じテーマでメッセージをお願いしたところ、どなたもあふれんばかりの長文メッセージを寄せてくださいました。以降、抜粋にはなりますが、ひとつでも多く皆さんにご紹介できればと思います。
 

Kさん

Q1、あなたの中洲大洋での個人的な思い出や、劇場へのメッセージがあればお聞かせください。

幼き頃、実家の家業が忙しく、週末や休みの期間は祖父母や叔父叔母に預けられていたのだが、普段落ち着きのない童も、映画を観せておけば大人しくしていたので、それに応じて親族に連れられの映画鑑賞機会は増えていき、今ほど価値観のない時代、映画鑑賞は何よりの楽しみだった事を思い出す。

さて、その時分、映画といえば中洲。ピカデリー、スカラ座、松竹、宝塚会館、東宝、東映等々、当時福岡で映画鑑賞といえば個人的に9割方中洲だった。その中でも大洋は劇場も大きく、また大通りに面していたので、 当時は絵師さんが直に描いていた、上映作品の看板もバス越しに何が今の目玉か一目瞭然。そんなことから大洋は中洲映画館の中でも象徴的存在だった。後、今の一蘭があるあたりに本屋があったので、大洋での映画鑑賞後、感動の気持ちのまま、よく"ロードショー"や"スクリーン"を買って帰ったことも思い出す。

それからというもの雪だるま式に映画好きに拍車がかかり、今では狂信的な映画好きになったしまったのだが、いつも隣には大洋の存在があった。言わばこれまでの人生、大洋と共に生きて来たと言っても過言ではない。大洋がなかったら、間違いなく違う人生を歩んでいたと思う。(ある意味狂わされた笑)

中洲大洋がなくなるということは、自分の臓器がなくなるようなもん。それぐらい私にとってはあまりに大きく、悲しいこと。老朽化というが、大洋で生き埋めになるなら本望だがそうもいかない。また中洲大洋の喪失は映画の街だった、中洲から映画館が消えるという事。できる事なら同じ地でNEW中洲大洋として、復活して欲しいと切に願う。

ともあれ、大洋殿、ひとまずは78年間、今まで本当にお疲れ様でした!そして78年間携わっていただいた関係者の方々、現実よりも現実たる映画の数々を与えてくださり、本当に本当にありがとうございました!!これは別れとは思っていませんので、また必ずお会いしましょー

 

Q2、あなたが中洲大洋で見て一番印象に残っている映画は?(複数でも可)

やはり生まれて初めて観た洋画が大洋での『ET』なので、それが一番印象的。場面で言えば、巷では自転車が空飛ぶシーンがよく挙げられるが、幼き私にはエリオットが刃物で負った傷を、E.T.が指先を近づけ治癒する場面に心躍らせた。

後はあまりの面白さに小学生にして2回観に行った『インディジョーンズ 最後の聖戦』

高校生で初めて映画の可能性について考えた『パルプフィクション』

また上記は大洋で間違いないが、中洲で観たのは間違いなく、大洋で観たかは記憶が定かではない『ランボー3』

前置として日本はバブル真っ只中。ハリウッドスターは日本のCMに出演することがステータスとも言われていた時代で、人気絶頂だった主演のスタローンは伊藤ハムのCMに出演していたのだが…

上映が始まり本編はまだかまだかと待ちわびる中、あろうことか本編前の予告・CM間に伊藤ハムのCMがぶち込まれていたのだ。そんな状況下でスタローンが映し出されたら、超満員の客側としては皆本編上映が始まったと勘違いで身を乗り出すのも無理はない。その後伊藤ハムのCMと分かった瞬間、糠喜びが氾濫した後の、寸分狂わぬビーチ・ボーイズもひれ伏すため息の多重コーラス。幼き私が"人間は1つになれるのだと"初めて悟った瞬間だった。映画自体ではなくごめんなさい。後スタローンの『コブラ』と『ポリスアカデミー3』の豪華2本だて。

H さん

Q1、あなたの中洲大洋での個人的な思い出や、劇場へのメッセージがあればお聞かせください。

大学でアメフトをやっていた時…その日はクリスマスイヴだったのですが、仲のいい連中三人で筋トレをやっていました。

でも、クリスマスイヴが筋トレだけで終わるのはあまりにも悲しいということで、映画を観に行こうと決めて、しかし恋愛モノはこの三人ではあまりにも悲しいので中洲大洋でメンインブラックに決めました。

で、映画をかなり楽しく鑑賞してパンフレットでも買おうかなと、売店を覗いていると三人の内のひとりが、特になんの躊躇もなくレイバンのサングラス(MIBモデル)12,000円を買いました。

それまでクリスマスイヴに筋トレをする哀しみサイドの人間と思っていた彼は、あまりにも裕福な人間で、こちらサイドから出ていくのも時間の問題だ、という格差が実感されてかなりのショックを感じました(笑)実際そうなりましたし(涙)

そのあと大洋の向かいにあったサブウェイで、はじめて食事をしました。自分で野菜の量を指定する実にアメリカンなスタイルにえらく感動しました。

そのサブウェイとも福岡では10年以上会えなくなるとは…!

 

Q2、あなたが中洲大洋で見て一番印象に残っている映画は?(複数でも可)

小学生の時、ルーカスが大好きだった叔母が「ウィロー」に連れて行ってくれました。

その思い出があるので自分は「スターウォーズ」よりも「ウィロー」のほうが好きなのですが(マドマーティガンとかそういうネーミングセンスとか…)、印象に残っているのは、その予告編であっていた「ザ・フライ」です。大がかりな機械にハエが混入するところでスッと終わるその予告は、200%悪いことしか起こっていないことがよくわかるのに、何が起こったのか少しもわからなくて、その後何年もトラウマになりました(笑)

N さん

Q1、「アンタッチャブル」「THIS IS IT」「冒険者たち」…中洲大洋の1番スクリーンは映画を映画館で観る喜びを1000%で返してくれる最高の場所でした。閉館は悲しいですが、今は感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございました。

 

Q2、『シェイプ・オブ・ウォーター」。大洋1で4回観ました(4回目はほぼ目を瞑ってた笑)。

お気に入りの1番スクリーン、中央2列目。フカフカのフランス製の椅子に深く座れば、まるで自分が劇中に入り込んだかのようで、あれを超える映画体験はこれから先もないんじゃないかと思っています(それだけに悲しい…)。

I さん

Q1、真っ赤な急勾配の1番スクリーンが大好きでした。クラシックな大作をココで観るのは最高の贅沢でした。スクリーン前のステージに立ってイベント司会をさせてもらえたことは、私の誇りです。

後ろから包み込まれるような2番スクリーンも、ちょっと小高い座席の3番スクリーンも、時々、西鉄バスが到着する音が漏れ聞こえていたチャーミングな4番スクリーンも(笑)愛すべき思い出です。

映画ファンとして大好きな映画館であり、街の象徴でもあった劇場が無くなってしまうのは、とても寂しいです。なんとか建物を残すことはできないものか、、なんて考えてしまうのも正直なところです。そのくらい歴史ある素敵な劇場でした。大切な映画鑑賞体験をつくってくださり本当にありがとうございました。復活の続報も心待ちにしています。

 

Q2、沢山あるけど、やっぱり一番は『哀れなるものたち』でしょうか。大好きな映画でした。スケジュールの都合で1回目は他の映画館で観たけれど、「これは大洋1番で観ねば!!」と、2回目を観に行きました。大正解でした。上映後、大洋独特の”放射状に光る壁の照明”に明かりが点く感じが、映画の世界観から遠くない感じがして、またいいんです。ベラ・バクスター(エマ・ストーン)が、あの衣装着て前の席で映画観ててもおかしくないなあ、とか妄想したりして。

今は3番スクリーンで上映されてるみたいですが、エレベーター上がってすぐ目の前のところにパブボードも展開されていてとっても素敵なので、なんとか閉館前に3回目も観に行きたいと思っているところです。デコラティブな美術や衣装が美しい映画が本当に似合う映画館だと思います。

それから、ちょっと前の作品ですが『エンパイア・オブ・ライト』も大洋で観ました。映画館についての物語でしたが、劇中で”映画館のなかでも今は使われていない場所”が出てきたシーンで、「ここ大洋にもこんな空間があるのかな」なんて考えながら観ていたことを思い出しました。ちょっとワクワクした思い出です。

わたしたちに見えていた場所も、見えていなかった場所も、きっといろんな人の思い出が詰まった場所だったんだな、と思いを馳せます。

そうそう、大洋2〜4番が入るビルの階段室には往年の映画会社のロゴが沢山印刷された看板が飾ってあるんですよ。エレベーター横にある階段を登ったら見れます。知る人ぞ知るフォトスポットですよ。

ということで駆け足で4名のメッセージをご紹介しましたが。
中洲大洋は、1946年の開業から2024年1月31日までの総来館者数が21,200,126人とのことです。今日ご紹介したような、一人ひとりの特別な体験と思い出が、この78年間のあいだに2千万人分だけ重ねてこられたのが、あの劇場だったわけです。この事実一つとっても、映画館が街にあるということ、それが果たす役割やそれが変えてしまう人生など、街に劇場があることそれ自体がひとつの奇跡みたいなものだったのだと、改めてこの機会に強く思うのです。

 

今回、惜しくも営業を終える中洲大洋にむけてこの特集を企画しました。もし今日の特集を聞いて中洲大洋が恋しくなられた方は、まずはもちろん中洲大洋へ足を運び、劇場で最後の鑑賞をお楽しみください。作品によってはもう満席御礼の回も出ているくらいに大盛況のようすですが、ぜひ。

 

そしてもうひとつ。今回の特集で「やっぱり劇場って宝物だ」と感じていただけたなら、どうかいま営業中の中洲大洋以外の映画館にも、無くなると決まってしまうより前に、ぜひ1度でも多く足を運んでみてください。映画館は、地元の皆さん一人ひとりがこまめに通い続けさえすれば、いつまでも無くならずに済むはずのものなんです。

 

そうやって、いつまでも映画館で映画をみんなで一緒に観続けられる街であったなら、と願いながら、この特集は終わりにしたいと思います。

中洲大洋、本当にありがとうございました。(了)

中州大洋映画劇場の公式HP

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、田中みずき、三好剛平
番組ホームページ
公式Twitter

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

吉田麻也「人間性が悪い人はほとんど見たことがない」“第2ゴールキーパー”の役割について言及

吉田麻也がパーソナリティを務めるTOKYO FMのラジオ番組「吉田麻也の切り替えて行こう!」(毎週土曜9:30~9:55)。吉田麻也が“何があっても切り替えて行こう!”というDFならではのスローガンを掲げ、最新のニュースやリスナーからのメールに鋭く反応していく番組です! 4月20日(土)の放送では、第2ゴールキーパーの役割について語りました。


パーソナリティの吉田麻也


<リスナーからのメッセージ>
「先日、名古屋グランパスのゴールキーパー・武田洋平選手が久しぶりにリーグ戦出場を果たし、0対0のスコアレスドローに貢献していました。プロ19年目で第2ゴールキーパーとしての期間が長い武田選手ですが、しっかり準備している姿は尊敬しています。そこで、麻也さんが思う“第2ゴールキーパー”に求められるものはなんだと思いますか?」

吉田:チームにとって第2ゴールキーパーの役割ってすごく大事で、第2ゴールキーパーに何より求められるのは“人間性”だと思います。試合には出ないけどチームのプラスになることをしている。もしくは、他の選手の模範になるようなプロフェッショナリズムを持っている。そして、常に(試合に向けて)準備をする……何が言いたいかというと“第2ゴールキーパーに悪い人はほぼいない”と僕は思っています。実際に、第2ゴールキーパーで人間性が悪い人はほとんど見たことがないです。

武田選手は僕の1つ上の先輩なんですけど、物腰が柔らかく、優しくてイケメンで人間性が二重丸の選手です。プロになって試合に出場する機会は少ないかもしれませんが、こうして36歳までプロとして長く活躍しているのは、日頃のおこないやトレーニングに取り組む姿勢、人間性がすごく大きいのかなと思います。なので、僕もこのニュースを見てとてもうれしい気持ちになりましたし、お互いもっと頑張っていかないといけないなと思っております。

<番組概要>
番組名:吉田麻也の切り替えて行こう!
放送日時:毎週土曜9:30~9:55
パーソナリティ:吉田麻也
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/kirikae/

Facebook

ページトップへ