ミキの“裏側”全開ラジオ! 文化放送『ミキの深夜でんぱ!』インタビュー
Photo by:Ryota Isomura
今、話題の“お笑い第七世代”の一組として注目されているミキ。クオリティの高い兄弟漫才で数々の賞を獲得、バラエティ番組ではその愛されるキャラクターで多くの番組に起用されています。
活動拠点を東京に移したこの春から、文化放送で関東エリアでの初レギュラーラジオ番組『ミキの深夜でんぱ!』がスタート。女性ファンが多いイメージのミキのお二人ですが、テレビでは見せない“素”のトークで男性ファンの心をグイグイつかんでいる模様。番組が始まるきっかけやラジオのルーツ、今後の野望についてインタビューしました!
ミキで、亜生とやりたい。二人でしゃべり倒したら、番組が決まった
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――東京に拠点を移した4月から番組がスタート。東京でラジオをやりたかったそうですね。
昴生:タイミングがばっちりでした。「東京でラジオやりたい」と言ってたら、文化放送さんから僕らと相席スタートとガンバレルーヤの3組で1回番組やりませんかと声がかかったんです。「おい、これは大チャンスや! 二人でしゃべり倒そうぜ」と。しゃべり倒したら、ほんまに決まった(笑)。その番組で3組をシャッフルして誰とラジオでしゃべりたいかというコーナーがあって。僕は亜生って言ったんですよ。ミキでやりたいと。
亜生:その時、僕は「マジで仕事取りに行かんといて!」と思いました(笑)。
昴生:それがつながってよかった。
――こんな番組にしたいとか、コンセプトみたいなものはありましたか?
昴生:KBS京都で『兄弟でんぱ!』(※1)っていうラジオをずっとやっているんですけど、日曜のお昼にオンエアしていて言葉に制限がかかるんですよ。聴いてる人の層もあるんで。
亜生:80歳の男性とかから、めっちゃクレームが来たりするんですよ。
昴生:トイレのこととか、汚いこともいえない。じゃあ『深夜でんぱ!』では、昼にしゃべられへん話をしようと。去年オールナイトニッポンをやって、結構下ネタの話が好評だったんです。「深夜やったら、多少下ネタもありでいこう」ってなったら、こんな全面的に下ネタになっちゃった(笑)。
(※1)KBS京都ラジオ『ミキの兄弟でんぱ!』毎週日曜日 13時~14時放送
下ネタしゃべって、爆笑できる兄弟ってあんまりいない
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――番組を始めて気づいたことは?
亜生:お兄ちゃんがエッチなことしゃべる時は、すごい気持ち悪いなと。
昴生:(爆笑)自分でも分かってしまうんです。これをしゃべったら、「俺、気持ち悪くなってしまうなと……」。あと、変わった兄弟やなって改めて思いました。こんなことしゃべれる兄弟ってあんまりいない。
亜生:爆笑しますしね、二人で下ネタの話をして。他の兄弟って引いてもうたりすると思うんですよ。いや聴きたないねん……。お兄ちゃんのそんなんって。
――亜生さんの「お兄ちゃん」が下ネタをマイルドにしているような気がしますが。
亜生:ほんまはお兄ちゃんを「にぃ」って言いたいですもん。いつも呼んでるのは「にぃ」なんですけど。
昴生:それは絶対現場では言うな、と言うてます。
亜生:僕ん中では「お兄ちゃん」はもう、他人で言うところの「おまえ」って言うてんのと一緒ぐらい。
昴生:あ、そうなん。その位置にあるん……。
亜生:そう、他人行儀やもん。「お兄ちゃん」は。
昴生:……それは嘘やろ。
亜生:ウソ(笑)
昴生・亜生:(爆笑)
――本当に仲がいいですね~。
昴生:僕ら兄弟、結構昔から下ネタが好きで、一緒にしゃべってたんです。亜生には、僕が何歳の時にどのセクシー女優さんが好きだったかがバレてますから。
山本耕史、芸歴50周年を振り返る。「やめたいとも続けたいとも思ったことがない」
大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月21日の放送に俳優で歌手の山本耕史が出演した。今月、芸歴50周年を記念した『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』を開催する山本が、そのコンサート、これまでの芸能生活などについて語った。
山本耕史「(芸歴50年であることについて)赤ちゃんモデルみたいなことをしていました。そこを入れると50年になります。記憶があるのはもう少しあとです(10月31日で50歳)。割と2歳ぐらいのことは憶えているんです。ベッドに寝かせられて上からカメラを構えて照明を当てられ、『目をつぶって、寝たふりをして』。そう言われて撮っていただいたのは記憶にあります。母に話したら『あれ憶えているの?』と驚かれました」
大竹まこと「2歳はすごいな。芸能界を目指したのはなんで?」
山本「母も父も歌をやっていて。その流れでというか。兄も芸能をしていたので、気づいたときにはもうやっていた、という状況でした。抵抗を覚える前に始めていたので、やめたいとも続けたいとも思ったことがない。不思議な感じです」
大竹「学校で噂は立つよね。何かに出ていて、みたいな」
山本「小学校のころ、舞台の本番のために早退しないといけないことがあって。みんな『どこ行くの?』と。周りと違うことをしているんだな、というのは、その辺からなんとなくわかってきました。でも後半はみんな『きょうもなの? 行ってらっしゃい』という感じで。特別なことというよりは普通の生活の一部でした」
大竹「この間『わたしの知らない子どもたち』という映画を観て。子役がみんなうまいんだよ。驚くぐらい。そういうので勝っていこう、といった気持ちはなかった?」
山本「全然なかった。いまでも同じような気持ちは続いています」
水谷加奈「若いころは尖っていた、と伺っています
山本「尖っていたというか。まあ自分の意志はすごく見せていたと思います。違うものは違う、気持ち悪いものは気持ち悪い、ということを区別していたのかもしれません」
大竹「とんとん拍子に続いてきたのか。それとも仕事がなくなった時期もあるのか」
山本「すごく大きな母体となるところもたくさんあって。でも僕はずっと個人でやってきました。時代劇や舞台など、若い人たちがやりたがらない、と言ったら変ですけど。スキマ産業みたいなふうにやってきたんだと思います。同世代が学園ものに出ている中、僕は京都で時代劇に出ていたり、舞台に上がったり」
大竹「ほう」
山本「そうしていたら、いつからか舞台やっている人がフィーチャーされたり、時代劇のできる若者を探されたり、というときに『そういえばやってきたな』と。そこがいまにつながるきっかけになっているかもしれません」
大竹「今回(『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』)は何するんですか?」
山本「50周年ということで。35周年のときもやりましたけど、いままでの作品、ミュージカル、影響を受けたアーティストたちの曲でコンサートを。お芝居も考えたんですが、瞬間、その数分だけでお客さんを誘(いざな)える、という意味で、いろいろな曲を並べてコンサートにしたらいいのでは、と思って。50周年アニバーサリーコンサートを10月24日に大阪(Zepp Namba)、10月31日に東京(LINE CUBE SHIBUYA)で開催します」