中国・全人代から見える習近平政権の硬直性をウオッチャーが解説

中国の国会、全人代(=全国人民代表大会)が北京で始まった。かつて7回にわたり全人代を取材したという、飯田和郎・元RKB解説委員長が3月7日にRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、過去に比べて格段に取材が厳しくなった全人代について「習近平政権を象徴している」とコメントした。

全人代の報告書を「先出し」するスクープ合戦

年に1回、毎年3月に全国から人民代表、つまり国会議員が北京に集まる。その数は約3000人。北京の緯度は北緯39度。日本で同じ北緯39度といえば、岩手県、秋田県。3月の初旬の北京はすごく寒い。だが、それでも春の訪れを感じる。春という新しい季節に、向こう1年間の中国の政治方針を議論する場だ。いや、「議論する場だった」。

私は北京での勤務が2度あり、合わせて7回、全人代を取材した。最後の全人代取材からもう17年も経過したが、今も時折、寝ていて夢を見ることがある。冷や汗をかきながら。

全人代は初日、首相が政府活動報告を読みあげる。向こう1年間の経済成長の目標が率にして何パーセントとか、国防予算が前年に比べて何パーセント増えるとか。いわば、所信表明演説。今年も全人代が開幕した5日、李強首相が報告した。

その政府活動報告のペーパーは開幕前日、一部の関係者に、内々に配布される。私が北京にいた当時は、その報告書をどうやって手に入れるか。そして、それに基づいて開幕日の朝刊に、内容を報道できるかどうか――。外国メディアはそんな競争に血眼をあげていた。

当然、手に入るメディアと、手に入らなかったメディアに、結果は分かれる。全人代開幕当日の朝刊を読み比べれば、内容が掲載されている新聞と、そうでない新聞がある。一目瞭然だ。ただただ負けたくないと、寒い、寒い北京の夜、報告書のペーパーを求めて、駆け回った。だから、「ペーパーを取れなかったらどうしよう」と今でも思い出し、夢に出ている。よくあんなことをやっていたなと思う。

でも、それは合法的な取材活動ではない。首相が全人代初日に会議で読み上げるまで、公表してはいけないものだ。それを事前に手に入れて、事前に報じる――。これは非合法の取材活動と言える。ただ、それをやっても、中国当局から呼び出され大目玉を食らったり、ペナルティを科せられたりすることはなかった。

習近平体制を象徴するいまの全人代

だがここ数年、全人代開幕当日の各新聞、放送とも、どこも事前に内容を報じていない。いわば特ダネを出せないでいる。実は、このことは今日の習近平体制を象徴しているように思える。

一つは、統制、管理が格段に強化されて、情報が事前に外部に出ないような仕組みになったのだろう。もう一つは、このような情報入手の方法が、法律に触れる可能性が強まったことだ。仮に、政府活動報告の内容を、事前に手に入れたら、「機密を不正に取得した」と罰せられるかもしれない。だから、今の習近平体制を反映しているようにも思えてしまう。

今年の全人代で、開幕前からニュースになったことがある。これまでは毎年、首相が行ってきた内外記者会見を、今年からは「やらない」という。開幕前の事前説明会で、運営事務局は突然、こう宣言した。

今年は閉幕後、首相の会見は開かない。特別な事情がなければ来年以降も行わない。

首相会見をやめた理由はこうだ。

全人代開会中、外交や経済、民生について記者会見を開く。取材の機会はさまざまある。

今年の全人代の会期は7日間。来週の月曜日11日に閉幕する。これまでなら、閉会後に、首相が別に場を設けて、国内外の記者を集めて、さまざまな質問に答えるのが恒例だった。もちろん、その記者会見の進行役が指名するメディアは、事前にほぼ決まっている。国内の国営メディアは、クエスチョン・アンド・アンサーは用意されたものだ。一方、外国メディアも、外務省から事前に選ばれ、質問したい内容も事前に求められる。

ただし、メディアが中国の首相に直接、質問できる場面だった。首相が、政策の至らない点を反省したり、希望や抱負を述べたりすることもあった。同時に、時の首相の「人となり」、「ああ、こういうタイプの人物なのか」などの一面が伝わってくる場面でもあった。

それが、ここ数年は、海外へ訪問した場合でも、中国の首脳はメディアを入れて会見に応じるケースは皆無。その意味では、全人代での首相会見は、年に1回という、貴重な機会だった。それがなくなった。しかも、今年だけではなく、当面やらない、と数年先についても通告した。

すべてはナンバー1が支配する

「首相が口を開かなくなる」「口を開く必要はない」――。この観点から考えよう。二つ、意義付けられる。一つ目は、中国という国がどのような方向へ進んでいくか、それは政府や国会ではなく、共産党だけが、すべてを進めていくと宣言したといえる。

中国の政治システムは「共産党が国家を指導していく」わけだが、個々の政策は、政府が立案し、議会が承認してきた。これからは党が進め、政府はわずかに補完する役割に回る分岐点になったということだ。

二つ目。「首相は中国の序列2位」と表現されてきた。そのナンバー2は「しゃべらなくてよい」ということになる。さきほど紹介した全人代初日の政府活動報告。1年前に就任した李強首相にとって、今回が初めての活動報告の場だった。いわば晴れ舞台。それが過去30年間でもっとも短い時間だった。これまでも指摘してきたが、習近平体制にあって「ナンバー2以下は存在しない」「すべてはナンバー1が支配する」――。そういうことだろう。

ただし、経済に限っても、不動産不況が長びく。消費も低迷し、中国経済は難問が山積している。今年の経済成長目標を「5%前後」に設定した。昨年の成長率は5.2%。今年の5%という目標達成は容易ではない。

外国メディアは、そんな疑問を首相に直接、尋ねたいのだ。李強首相に、自分の口から過去1年間の経済を総括してほしい。中国当局は公式には認めないが、すでにデフレ状態にある。国際的な投資家は「中国離れ」を加速させ、それを日本へシフトさせている。株が日経平均で初の4万円台というのも、中国要素が小さくない。

もちろん、彼らも危機感を持つ。中国の国営メディアはいま、さかんに「経済について心配するな」と国民に訴えている。「経済は全体として回復傾向にある。中国は世界経済の重要なエンジンであり続ける」と宣伝している。海外資本の中国への投資にも躍起だ。

しかし、そんな閉鎖的な、いまの中国のスタイルに、海外資本は懐疑的でもある。行政の最高責任者である首相が、だれもが懸念する経済について説明しない。「存在していたものがなくなる」「首相会見という、開かれていた窓が閉じられる」。そうなるとさらに懸念が広がる。さらに不安の声が出る。このような国に、積極的に投資できるだろうか。

当然、中国の指導部も、外からの目がわかっている。それでもやる――。今年の全人代をながめると、いかにも今の習近平政権を象徴しているように思えてならない。

◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、田中みずき、飯田和郎
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※放送情報は変更となる場合があります。

補欠選挙の結果を分析。「保守王国」と呼ばれる島根に変化が?

4月29日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーでは政治ジャーナリストの角谷浩一さんに、4月28日に行われた補欠選挙の結果を解説してもらった。この記事では島根1区に関する部分をピックアップする。

長野智子「選挙区ごとに分析などいただければと思います。まずは唯一の与野党対決となった島根1区です」

角谷浩一「亀井(亜紀子)さんは一度現職もやられていたので返り咲きということになりますが、島根が『保守王国』といわれますよね。1区はずっと細田(博之)前衆議院議長が地盤を守っていて」

長野「小選挙区制度の導入以降、ずーっと。勝ち続けた」

角谷「2区は、もう亡くなりましたけど竹下亘さんがずっと議席を持っていた。つまり保守王国というより、細田さんと竹下さんがずっとやっていたと。ある意味で当たり前だった。それがお二人ともご存命でなくなって、時代が変わってきて、新しい人が。それも自民党の人が引き継ぐものだと思っていたら、こんなことに、と。細田さんがお亡くなりになったための選挙ということで、自民党も候補者を立てました」

長野「はい」

角谷「ただ細田さんは(旧)統一教会との関係が取り沙汰されたり、じつはセクハラ問題というのがあったり。それに安倍派を細田さんはずっと守っていた、ということも。いま問題になっていることを全部抱えていた、みたいな問題があった。お亡くなりになったので自民党は候補者を立てたけど、そんなに簡単ではなかった、ということ」

長野「きちんと説明されないまま、亡くなられてしまったわけですね」

角谷「今回負けたけど、次はもう有権者は自民党に帰ってくる、という声も地元にはあるんだと思います。今回も県会議員がほとんど動かなかった、という話もありました。一方で世論調査、事前のいろんな調査ではかなり引き離されていて、亀井さんが強かった。でも(岸田文雄)総理は2度入ったんですね。最後の土曜にも入られると。総理が最後に入るのは、逆転できそうなとき、というのが不文律でした。数字の差が既にあるのに、総理は入った」

長野「はい」

角谷「これは岸田さんの独特なやり方というかな。突然、政倫審に出ると言う、派閥を解散すると言う……。岸田さんは誰かと相談して揉んで決めるというよりは、直感的に決められるんですね。島根1区は自民党が唯一出していたところだから、小渕(優子)選対委員長はずっと張り付いていました。国会開会中でしたけど、ずっと」

長野「はい」

角谷「岸田さんは2度も入った。茂木(敏充)幹事長は入らなかったんですね」

長野「それはなぜですか?」

鈴木純子(文化放送アナウンサー)「岸田さんとの仲が微妙だという話も……」

角谷「ただ選挙に勝てば微妙どころか、戦うところで『茂木さん、よくやった』となりますよ。一生懸命、入らなかったというのは、幹事長自らが諦めていたんじゃないだろうか、とか。もっと言うと第一声。泉健太立憲民主党代表は、初日に島根で第一声、声を上げているんですね。ところが茂木さんは行かなかったと」

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