財津和夫、映画はやっぱり「字幕」推し

TULIP・財津和夫が、時には大好きな映画の鑑賞法を披露するRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。今回は、「字幕」と「吹き替え」についての持論を展開します。

「セイユー」も「セイミー」も経験なし!?

洋画は「字幕」と「吹き替え」のどちらが好きか、という質問のお便りを頂いた。
結論から言うと、財津も下田アナも「字幕」推し。
財津:「元々(オリジナルの役者が)どんな感じで喋っているのか。感覚派としてはそっちの方がいいです。肉感的な感じを味わいたいですもんね。(吹き替えは)分かりやすいんですけど、日本人が喋っているとなんか雰囲気違うんじゃないかなって思う時もあるでしょ。」
下田:「ただ、子どもの時見た刑事コロンボは、吹き替えの声をコロンボと思い込んでいました」
財津:「確かにあれが字幕だったら、大人しか味わえないかもしれませんね」
財津:「字幕を見ている間に映像が見られないから、『肝心なところを見落としたな」ってと思う事が時々ある。吹き替えも良いかなって思うんですけど、でもやっぱり字幕の方が臨場感あるよね」
下田:「英語がちょっとわかればいいですけど」
財津:「字幕とヒアリングで、英語の勉強になったりするんですよ。こういう事を言うのには、この単語を使うんだって、時々わかります」
財津:「歳取って、字幕を見るのはだいぶ疲れるようになりました。文字を追うのは大変なんです。読み終えないうちに次のシーンになっちゃって、間に合わない事もある」
翻訳は限られた字数で見やすいようにすごく工夫されている、と下田アナが翻訳者側の苦労をフォロー。そして、声優のオファーを受けた事がなかったか、財津に尋ねると
「セイミーもないですね。セイユーもセイミーも(経験)なし。僕がお喋りで経験したのはナレーションかな。たった3行4行しか言わないんだけど、訛りがあるんで・・・何回やっても『財津さん、それちょっと違います』って言われて。どこがどう違うかわかんないんです。こっちは一生懸命喋っているのにね。アナウンサーの方なんて尊敬しちゃいます」

次回4月14日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
TULIPのコピーバンドについてお話しします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

あの歌声が令和に蘇る 越路吹雪を敬愛するシャンソン歌手の“追っかけ魂”が実を結ぶ

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

ソワレさんは、河合奈保子のアルバムの解説もしています

高円寺の“お坊ちゃん”だったというソワレさん。小学校に入る前から、新宿が“遊び場”だったそうです。小学生になると、アイドル歌手・河合奈保子さんの“追っかけ”になり、「レッツゴーヤング」(1974~1986年 NHK総合)、「カックラキン大放送!!」(1975~1986年 日本テレビ系)、「8時だョ!全員集合」(1969~1985年 TBSテレビ系)、「ザ・トップテン」(1981~1986年)など、公開収録には、目を血走らせて、応援に出かけていきました。

新宿ゴールデン街の「ソワレ」店内 落書きだらけの壁にソワレさんの若き日のポスター

そんなソワレさんが19歳のとき……、河合奈保子さんが出演する音楽番組「ミュージックフェア」(1964年~ フジテレビ系)を見ていると、「この人、誰なの?」と見たこともない歌手が番組テーマで特集されていました。ところが、歌を聴いて雷に打たれたような衝撃だったとソワレさんは振り返ります。

「あの化粧、あの衣装、そしてあの歌声……、いまで言えば、元祖・ドラァグクイーンですよ。こんなにカッコいい日本人がいたんだと驚きましたね」

その歌手こそ、「コーちゃん」の愛称で親しまれた、越路吹雪さんです。1924年(大正13年)に生まれて、今年、生誕100年を迎えました。宝塚歌劇団の男役スターとして、戦中から戦後にかけて活躍し、退団後も、映画やミュージカルで一世を風靡……。特にシャンソンでは作詞・翻訳家の岩谷時子さんとともに「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」など、数多くの名曲をヒットさせ、日本シャンソン界の“女王”と呼ばれました。

ソワレさんが知ったとき、越路さんはこの世にいませんでした。それでも“追っかけ魂”に火がつき、レコードを買い集め、MD(ミニディスク)に落として毎日聴いて歌を覚えました。それがシャンソンとの出会いでした。

「越路さんとキーが同じだったので、どんどん歌に引き込まれましたね。レコードを聴き比べると1966年、日生劇場のリサイタルが特に素晴らしいんです。こんな大スターがいたことを、いまの若い人たちにもっと知って欲しいんです」

新宿ゴールデン街は外国人観光客の人気スポットに

時代は、昭和から、平成、令和と移り変わり、越路吹雪さんとともに過ごした人が、段々と少なくなっています。今では、日本でいちばん越路さんに詳しいと言われているソワレさん……どれだけ詳しいかといいますと、何年に、どのステージに立ち、どんな衣装で、何を歌ったか……、また、インタビューに、どう答えたか、シングルのB面の曲名も、すべて頭の中に入っています。

現在、早稲田大学演劇博物館で、『生誕100年 越路吹雪衣装展』が開かれています。期間は8月4日まで。入場無料です。舞台衣装にも大変こだわった越路吹雪さんは、そのほとんどが、ニナ・リッチとイヴ・サン・ローランのオートクチュールだったそうです。越路さんの情熱が今でも伝わってくる『衣装展』でも、ソワレさんが協力をされています。

新宿ゴールデン街のお店「ソワレ」

シャンソン歌手のほか、新宿ゴールデン街や新宿二丁目のお店、東新宿のライブハウスのオーナーであり、イベントのプロデューサーの顔もお持ちです。そんなソワレさんですが、コロナ禍のとき、お店は自粛となり、ライブハウスは全てキャンセルに。好きで始めたお店ですが、もう閉じてしまおうか……、心が折れそうになったとき、ソワレさんは、心に誓います。「自分の好きなことだけ、これからやっていこう」と。好きなこと……、それは、もちろん越路吹雪さんのことです。

「生前、越路さんは『後世にものを遺したくないの』とおっしゃっていたんですが、私って、根っからの“追っかけ”なので、天国の越路さんに許してもらえるかな、と思って、『越路吹雪 生誕100周年プロジェクト』を立ち上げたんですよ」

CD-BOX『越路吹雪リサイタル 1965~1969』(2024年6月12日発売)のジャケット

その第一弾が、デジタル化されていないリサイタルのLPレコードをCD-BOXとしてリリースすることでした。これが間もなく実現します。

「越路さんと出会って、『人生に1つも無駄はない、何をしても前向きに興味のあることは、何でもやってみよう』ということを教えられましたね。

私の夢は、越路さんのホームグラウンド“日生劇場”でリサイタルを開くこと……その檜舞台を踏んだら、越路さんに会えそうな気がするんです」

ソワレさんが憧れる越路さんの言葉を最後にご紹介します。それは……「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌も歌ったし、もういいわ……」。そう言って、静かに息を引き取ったそうです。

CD-BOX『越路吹雪リサイタル 1965~1969』の見本を手にするソワレさん

1980年(昭和55年)、56歳という若さで亡くなった越路吹雪さん……ソワレさんによって、令和のいまに、その歌声が蘇ります。

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